子育てにおける“最悪の一手”とは? - 脳の「生存本能」をハックする科学的教育法
「子供のためを思って言っているのに、なぜ、この子はやる気を出さないのだろう?」
多くの親が、一度は抱えるであろうこの根源的な悩み.それは、親の愛情が足りないからでも、子供の意志が弱いからでもありません.その原因は、私たちの脳に深く刻まれた**「生存本能のOS」と、現代の教育における「ある致命的な誤解」**との間に存在する、悲劇的なすれ違いにあります.
前回の記事で、私たちは人間の行動の9割が、大脳新皮質(意識)という「若き航海士」ではなく、大脳辺縁系などの古い脳(生存本能)が司る「ベテラン機関長」によって支配されていることを解き明かしました.そして、この機関長が唯一理解できる言語は、「論理」や「理想」ではなく、**「過去の経験データ(実績)」**だけである、ということも.
この脳の仕組みを理解した上で、教育における「最悪の一手」とは何かを考えてみましょう.
「結果」への叱責が“最悪の一手”である理由
ここに、ピアノの練習を始めたばかりの子供がいるとします.親であるあなたは、子供に毎日30分の練習を、という目標を課しました.これは、子供の将来のために必要な、素晴らしい目標です.ある日、子供はなんとか30分、椅子に座ってピアノを弾きました.しかし、その演奏はつたなく、ミスばかりです.
ここで、多くの親が、良かれと思って「最悪の一手」を打ってしまいます. 「そこ、音が違うでしょ!」 「もっと集中して練習しなさい!」
親からすれば、これは上達を願う、当然の指導です.しかし、子供の脳の「機関長」は、この出来事を全く違う形で航海日誌に記録します.
実行した行動: 「ピアノの練習を30分行う」
得られた結果: 「親(=群れのリーダー)からの否定・叱責」
システムの評価: 行動(練習)→ 結果(社会的承認の低下、生存リスクの上昇).この航路は危険である.評価値:マイナス.
機関長は、子供を親の叱責という「精神的な死のリスク」から守るため、今後は「ピアノの練習」という行動そのものを避けるように、全力で舵を切るでしょう.子供の「やる気」が失われた瞬間です.親の熱心な指導が、皮肉にも、子供の脳に「練習=悪」というプログラムを焼き付けてしまったのです.
なぜ「プロセス」の承認が機関長を動かすのか
では、どうすればよかったのか. 答えは、「結果」ではなく「プロセス」を評価することです.
同じ場面で、賢い親はこう声をかけます. 「まだ上手に弾けないかもしれないけど、ちゃんと30分間、椅子に座って練習に取り組めたね.その一歩が、一番大事なんだよ.えらいね」
この時、機関長の日誌には、全く違う記録が刻まれます.
実行した行動: 「ピアノの練習を30分行う」
得られた結果: 「親からの承認・賞賛」
システムの評価: 行動(練習)→ 結果(社会的承認の上昇、生存リスクの低下).この航路は安全で、快適である.評価値:プラス.
これにより、機関長は「ピアノの練習」という行動を、生存にとって有益なものとして学習します.これが、子供の「やる気」が育つ瞬間です.
それでも動かない時の「環境デザイン」
ただし、これには重要な補足があります.もし子供が、そもそも練習という**「プロセス」自体を怠っている**場合、つまり、椅子にすら座ろうとしない場合はどうでしょうか.
その時こそ、親が**「環境をデザインする」**という、もう一つの重要な役割を果たす必要があります.「やらない」という選択肢が、「やってみる」という選択肢よりも、少しだけ居心地が悪くなるように、環境を整えてあげるのです.
例えば、「テレビを消して、親も隣で静かに本を読む時間を作る」「練習が終わったら、一緒に楽しいことをする約束をする」といった、強制ではなく、**子供が自ら「やってみようかな」と思えるような、穏やかな外圧(死のリスクというよりは、行動へのきっかけ)**を作ってあげる.これが、サボタージュを決め込んだ機関長の重い腰を上げさせる、唯一の方法です.
子育てや教育とは、子供に知識やスキルを詰め込む作業ではありません.それは、子供の脳という船に乗る、あの頑固で臆病な「ベテラン機関長」の特性を深く理解し、彼が安心して新しい航路に挑戦できるよう、「安全な実績」という名の燃料を、辛抱強く、愛情を込めて補給し続ける、壮大なプロジェクトなのです.
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